どうも、今野です^^
前回の記事では、高木先生との出会いから、後にカウンセリングを受講し学ぶ事となる、米沢へ移住する事へなった経緯までをお話ししました。
これまでの話はこちらのでまだ見てない方はご覧ください♪
目次
私は17歳の終わり頃に、休学していた高校を正式に退学し、実家を出て米沢へと移住しました。
家を出て一人暮らしをスタートした当初は、
「自分の住んでいる環境や状況が変われば、自分は絶対変わる事ができる」
とどこかでは信じていたのですが、そう簡単に問屋は下ろしませんでした。
現実はなかなか厳しくて、とてもいきなり変わる事なんて出来ませんでした・・・。
自己受容という概念もなく、「自己否定感」だけは相変わらず強くあり、教会へ行っても、人の目に恐れを感じる苦しい日々の繰り返しだったんです。
大人や権力に対する反発心や劣等感、将来への不安からくる失望感が私の心の中を渦巻き、孤独感や不安に潰されてしまいそうな毎日でした・・・。
しかしそんな中で、教会で新しく出来た友達とバンドを組んだり釣りへ行ったり旅行へ行ったり心の世界の学びを一緒にしたりアルバイトを始めたりと、少しづつ、心は癒されていきました。
米沢に移住しても最初は絶望した毎日の連続で、
「いつになったら、この暗闇から抜け出す事ができるんだ・・・」
そう思わずにはいられませんでしたが、それでも「変わりたい(癒されたい)」という思いだけは私の中に常にあり続けました。
なぜなら、
「苦しいままで自分の人生をずっと過ごしてしまったら、一生を終えてしまったら、自分の人生は何の為にあったんだ・・・」
そうなる事だけはしたくない。絶対に認められない。
そう思っていたからです。
又、引っ越した事で、高木先生が牧師をする教会へと行くようになってから、沢山の出会いがあった事も希望を持ち続ける事の出来た理由だと思います。
当時の私のような、精神的に不安定で苦しくてどうしようもないような状態から、心が癒されてされていったという体験を持つ方々との出会いが与えられ、その方々のお話しを聞かせて頂いたり、絶望の淵から抜け出して幸せになる事ができた人が実際にいる事を知る事によって、私は希望を持ち続けられました。
しかしそうではあっても、当時の私にとって、
「自分は、これから幸せを感じて生きていけるようになれる」
そう心から思う事は容易な事ではありませんでした。
希望をみる事が出来るようにまで変わるまでの道のりは本当に大変だったのです。
心の勉強をすればするほど、親に対する怒りは溢れてきてどうしようもなくなりましたし、一人で寂しい夜は人知れず布団の中で泣かずにはいられないような日々は続きました。
そのような段階を踏みながら、私の心は少しずつそして確実に癒されていったのです。
そして私は、ここでも圧倒的な体験をしました。この体験こそが、今私がしているカウンセラーの活動へと繋がっています。
その圧倒的な体験とは、以前の記事で書いた「人から受け入れられる」という体験をここでもしたのです。
高木先生を試しました!
ある日私は、高木先生に聞いてみたのです。
その時お聞きした事と言うのは、簡単にいうと、
「教会へいっている僕が結婚しなくてもS○Xをしていいですか?」
といったことです。
”日本の”キリスト教では基本的にそのような話はタブーです。
※なぜ日本のキリスト教という言い方をしているのかというと、その後世界中へ行って、クリスチャンが一丸にお堅いものではない事を知ったからです。
日本のプロテスタントのキリスト教ではたとえ恋人と付き合っていたとしても、結婚するまで肉体関係を持たないのはもちろんの事、中には、お酒やタバコは当然ダメ、カラオケなどの娯楽も、JPOPを聞く事もロックを聞く事もタブーだというような教会も多々あります。
私が行っていた高木先生も牧師をされる米沢の教会は、他の教会に比べるとかなりリベラルでしたが、とはいえ、高木先生はカウンセラーであっても「牧師」という立場です。
その牧師にそのような事を言うという事は、当時の私にとっても大きなチャレンジでした。
高木先生に対しても、
「ここまで言っても俺を受け入れてくれるのか?」
「ありのままの俺でいいって言ってるけどそれは建て前じゃないのか?」
といった想いから試すような心でお聞きしたことを覚えています。
そして、もし仮に、たとえ先生の気持ち的にはその答えが「OK」であっても、牧師という立場からも、そして私の親から預かっているという事からも、その問いに「YES」ということは出来ないという事を知っていながら言いました。
しかし「ダメ」と言う事もカウンセラー特有の言葉の話術でうまくかわす事もなく、受け入れてくれた上で、
「いいよ」
と言って下さいました。
ある日私は、高木先生に聞いてみたのです。
私の存在を、そのまま受け入れてくれた
高木先生は私の存在を、そのまま受け入れてくれました。
なぜ、「受け入れてくれた」と思えたのか?
もし高木先生が「いいよ」と言って下さった事を、実際にして「高木先生が良いと言ったからしたんだ」と教会で言ったのなら、私だけでは無く高木先生の立場にも響くことだからです。
特に、当時の私は未成年ですし・・・。
しかしそのように、高木先生にとって何も関係なくメリットない事なばかりか、大きなリスクのある事であったにも関わらず、先生は私の心に寄り添うために、私の事を「受け入れる」という事を態度で示して下さったのです。
聖書には、「愛」に関して記述されている箇所がたくさんあります。
子どもたちよ。
私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、 行ないと真実をもって愛そうではありませんか。
(ヨハネの第一の手紙 3章18節)
愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
(コリントI 13章4節〜7節)
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、 尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
(ローマ人への手紙 12章10節)
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
(イザヤ書43章4節より)
太文字にした所は、先生に対して感じた「愛」です。
そしてこの体験は、私の中でとても大きな体験として強烈に残っています。
紹介したように、聖書には「愛とは、犠牲を伴うものである」と言ったような事も書かれていますが、まさに先生は自分を犠牲にしてその「愛」を示して下さったのだと思います。
この一件があってからと言うもの、私の心は変えられていきました^^
そして、私も「そのような人を受けいれられる事のできる者でありたい」という強い思いから、カウンセラーとして活動をするようになりました。
この一件の後も相変わらず先生は私と関わって下さいましたし、今もなお大変よくしてくださいます。
先生との出会いは、確実に私の人生に変化をもたらしました。先生と出会って私の人生は変わったんです。
正に、「人生は出会いで決まる」という事だと思います。
なぜ、高木先生との出会いを書いた記事のタイトルを「人生は出会いで決まる」にしたのか?
それは、実際に高木先生との出会いで私の人生が変わったからです。
そしていつも先生は、オーストリアの哲学者、マルティン・ブーバーの言葉である「人生は出会いで決まる」という事をおっしゃっているからです。
だからこのシリーズの記事のキャッチ画像の写真もブーバーの写真の上に「人生は出会いで決まる」と記載したものにしました(笑)
それでは最後に、私からも言わせて頂きます。
人生は、出会いできまる!
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今野 陽悦
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