※2022年9月30日 追伸を更新しました。
どうも今野です^^
今回は、僕と父の親子関係が解決・改善をした際のエピソードを公開します。
目次
不登校引きこもりの僕と父との関係は最悪だった
てめー、 ぶっ 殺 すぞ!
僕は17歳の時、そう言って父の胸ぐらをつかみ拳を振り上げました。
母が必死にとめてくれたので殴りませんでした(殴れませんでした)が、当時、心の中は父に対する憎しみの感情でいっぱいでした・・・。
僕は14歳くらいから父の事を嫌うようになりました。
「ご立派なお父さんですね」
そんな風に世間からいわれる堅い仕事をしていてとても真面目だった父は、子供の頃、よく僕と兄にこのようにいいました。
「お前たちが、警察のお世話になるようなことがあったら仕事をやめなければいけない。」
幼い頃はそういう言葉に対しても何とも思いませんでしたが、思春期になった14歳くらいからはそのような父の言葉や態度が、
「オヤジは全然オレの事をわかろうとしてくれない」
「自分の価値観だけを押し付けて、理解する気なんてない」
そんな風に感じてくるようになりました。
また、大人になった今だからこそ父は父なりにがんばってくれていた事がわかりますが、当時の子供の立場からは、父は家庭を顧みず仕事の没頭し、家のことは全部母に押し付けて子供(私の不登校)の事で何かあるたび、
「おまえは何をやっているんだ」
という態度で母に怒っている所を見ては父に対するその嫌悪の感情は膨れ上がっていきました・・・。
それと同時に、
「こんなどうしようもない子供でごめんなさい」
という悲しみにも似た申し訳のない気持ちが強く強く湧き上がってきました・・・。
そして僕はその反発心からか、父が嫌がるような事を繰り返すようになりました。
中二くらいから短ラン・ボンタンといった変形制服を着たり髪を染めたり喧嘩をしたり最も嫌がっていたバイクにものったり、暴走族の集会にいったり友達と親の前でも堂々とタバコ吸って酒盛りしたり、部屋の壁を殴りつけ破壊したり金属バットをもちだし目の前で周りにあるものを破棄したり・・・。
上記に書いたことなんて序の口で、親はしらない事も含めて他にもとても公の場ではいえないような犯罪に該当する事も散々してきました。(窃盗だけはしませんでしたが)
子供の頃は父親が怖かったが思春期になると
幼い頃は父はとても怖い存在でしたが思春期となり体が大きくなってくると怖い存在ではなくなってきました。
そしてそれと同時に怒りの対象となっていたので、父が仕事中でもいきなり電話をして怒ったり苦しくてどうしようもなくなると、
「なんで俺の事を作ったんだよ・・・。こんな想いをしなきゃならないなら生まれて来なければよかったんだ!!」
泣きながらそう言って延々と気持ちをぶつけた時もありました。
僕が早い段階で起業家になったのも父を見ていて、あまりにも苦しそうで不自由そうで人生がつまらなそうに見えて、さらに仕事で家庭も犠牲にしているように感じられたので自分はそうなりたくなかった。
だから、自分次第では生きたい人生を実現できる自由な起業家の道を選んだんです。
不登校・引きこもりから父親との関係が良くなったきっかけ
ここまでだけを読むと結構なカタ~イ悪い父なんですが、そんな父も途中からは僕の為に努力をして変わってくれるようになりました。
具体的にはプライドを手放して自分でもカウンセリングを受講たり親子関係や心理学の事を学んだりどずっと数ヶ月間シカトしても毎朝メールをくれたりと、自分の方からも父なりに必死に歩み寄ってくれるようになっていきました。
僕が家を出て一人暮らししてからも、当時、父が単身赴任先の場所からかなりの遠回りしてもわざわざ毎回会いに来るようにもなりました。(当時は自分としてはきて欲しいとは思ってなかったですが、父なりの愛の表現だと受け止めていました笑)
んで、毎回といっていいほど散らかってる部屋を掃除してくれるんですが「部屋をしてもらっている」ではなく、僕としては、親から手をつけられるのは嫌だけど、「親子関係改善の為に掃除をさせてあげている」という気持ちでいました。(そう考えると嫌な息子ですねw)
そうやって父は、少しづつ受け入れられなかった息子の存在を条件を付けずBeing(存在)だけで受け入れるように努力をしていたのだと思います。
その前にも、後にも、ま~ま~ここでは書ききれないようなエピソードがまだまだありまくりだったのですが、そのような紆余曲折を経ておかげさまで今では随分と父ともいい関係になれました。
そしてそんな父に育てもらって今、僕はここにいるとも思っています。
・・・っという事が前提っす♪
最近の父親との関係
んで、最近その親父からメロンが届いたので、「ありがとうメール」を送りました。
そしてそれに対して返信がありました。
それがこのやりとりがこちらです☆
※父はいつも、メールでもナマってます(笑)
今はこのような感じのメールや会話というのは普通になっているのですがよくよく考えたら、当時だったらとてもとても想像のつかいない事だったんですよね。
そう思うとホント親子関係は改善されたし、仲良くなったんだな~って思います。
そして何よりこのような経験をしたからこそ僕は17歳の終わりの頃からカウンセリングを受講し必死に学び、その流れから自分と同じような状況にいた多くの方々と関わらせていただくようになって、若くしてカウンセラーになりました。
それが、起業家になるきっかけになった訳です。
そう考えると、
「ホントあの苦しかった経験は無駄じゃなかったな~」
「あの苦しかった経験こそ宝だったんだよな~」
今はそう思います。
とはいえ苦しさや悩みの中にいると前向きには考えられないしとても明るい未来が来るとか思えませんよね・・・。
僕自身もそうでした。
でももし今悩んでいたとしても過去に悩んでいた事があったとしても、それがあなたの力になる瞬間がやってくるかもしれません。
その事柄を「条件をつけずに受け入れる事」で自分の血となり肉となって自分を成長させる力になっていくのだと思います。
父がとても受け入れられないような事を繰り返す息子のありのままの存在を受け入れていく事で子供の問題が解決されていったように、そして、僕自身もクソッタレだと思っていた事も最低最悪だと思っていた自分の事もありのままそっくり受け入れ認める事で解決されていったように^^
何気ない父とのメールから「フっ」と思ったことを書き綴ってみました☆
少しでも皆さんの気づきになれたら幸いです。
追伸1 父が姪と遊ぶ姿を勝手に撮影しました
追伸2 2022年9月30日
先月末、父が亡くなりました。
恵まれていることに、とても忙しい状況だったのにも関わらず帰ることが出来て、亡くなる瞬間にも立ち会うことが出来ました。
また兄一家はコロナとなってしまい隔離されて家を出る事すらも出来なかったのですが、リモートにて立ち会う事も出来ました。
今年(2022年)の5月に、急遽「今年いっぱいもたない可能性が大きい」と言われ、本人も家族もびっくりしたのですがあっという間に逝ってしまいました・・・
ここにも書いているように、私と父の確執は本当に本当に大きかったです。
KING OF 規範型ともいえる父と柔軟型・放任型の私との相性は最悪で、不登校引きこもりであった当時は父のことが全く理解が出来なかったですし、父には私のことが理解出来なかったのだと思います。
しかし、あえて最悪という言葉を使いましたがこういった親子の相性だったからこそ、そこで互いに苦しんだからこそ私は心病んだプロセスをも経て、机上の空論ではない解決法を理解する事も現在のような活動も出来るようになりました。
随分父を憎んだ事もあの家庭に生まれた自分の運命を呪った事もありましたが、今では父の息子であって良かったと心の底から思います。
もしあの父の子として生を受けなければ、もしあの葛藤や苦しみがなければ、もし親子の和解が無かったのなら、、、こうして皆様と出会う事もなかった事でしょう。
喪主は兄で葬儀では兄が挨拶をしたので私はお通夜で挨拶をしたのですが、その際には挨拶ではなく「父へのメッセージ」として手紙を読みましたので、こちらでも紹介させて頂きます。(このコラムの内容も盛り込んでお話ししました)
親父
親父がいきなり居なくなって寂しいよ。
こんな事ならさ、子供や学生の頃の話とか仕事での苦労や逆に楽しかった 事などもっと聞かせてもらっておけば良かった、って今更ながら思います。
正直私は、親父が勤め人を引退してからは、そんなに長くは生きられないんじゃ無いか?なんて思っていたし、親父自身も10年も生きられない気がする、なんて口に出していたよね。
でも10年以上生きられてさ、これからはさらに10年仕事をするぞ、なんて言っている最中、急遽今年の5月に「年単位では考えられない」と言われた事を聞いた際にはびっくりしたしなかなか受け入れられなかった。
いつもあんなに病院で検査をしてたんだからいきなりガンが見つかるとか、 もう一年ももたないだとか言われた際には、きっと親父にとってもそれは晴 天の霹靂で苦しかったことと思います。そしてまさか、それからわずか四ヶ月で逝ってしまうなんて想像もしていなかった。
親父自身も今回入院する際に、携帯の電源は持っていかなくて良い、といっ ていた発言からもそのまま亡くなるだなんてきっと思ってなかったよね。
それだけにやり残した事もあっただろうし、無念な気持ちもあったかと思います。
その親父の気持ちにも応えられるよう、精一杯生きていく気持ちでいます。私が今、子供の問題を専門としたカウンセラーを出来ているのは全部、 親父との親子関係の影響からなんだ。
「ご立派なお父さんですね」
そんな風に世間からいわれる堅い仕事をしていてとても真面目だった親父 は、子供の頃、僕とひろと(兄)によくこのようにいったよね。「お前たちが、警察のお世話になるようなことがあったら仕事をやめなけれ ばいけない。」
「人様から指を指されるような事はするな。」
「コツコツ積み上げる事、謙虚なことが何より大切だ」
幼い頃はそういう言葉に対しても何とも思わなかったけど思春期からはそのような言葉が、
「オヤジは全然オレの事をわかろうとしてくれない」
「自分の価値観だけを押し付けて、理解する気なんてない」
そんな風に感じてくるようになりました。
また、大人になった今だからこそ親父なりにがんばってくれていた事がわか るけど、当時の子供の立場からは家庭を顧みず仕事の没頭し、家のことは全 部母に押し付けているように感じちゃってさ、さらのその嫌悪の感情は膨れ上がっていったよ。
私がハタチで独立起業したのも親父を見ていて僕の価値観では、不自由そう で人生がつまらなそうに見えて、仕事で家庭も犠牲にしているように感じられたのでそうなりたくなかった。
だから、自分次第ではどんな生きたい人生でも実現できると思った起業家の 道を選びました。
そしてその際に選んだ仕事が、当時の自分と同じような子供に問題を抱えて いる親御さんへ向けて解決改善へ導くカウンセラーを選択したよ。
それは今も続けていて、今年で十八年目となります。
ここまでの話だけだとまるで悪い父のように聞こえちゃうけど、親父も途中 からは僕の為に努力をして変わってくれたよね。プライドを手放して自分でもカウンセリングを受講したり親子関係の心理の 事を学んだり、数ヶ月間僕が無視をし続けても毎朝メールをくれたりと、自分の方からも必死に歩み寄ってくれるようになったし、私が高校生の年齢で家を出て一人暮らししてからも、当時単身赴任先の場所からかなりの遠回 りしても毎回会いにもきてくれたよね。
そんな親父の親としての愛は本当に伝わってきていたし、心から感謝してま す。
引退後、親父はとにかく目に入れても痛く無いほど孫が可愛くて、実家に 帰ってくるたびその幸せそうな姿をみては自分も幸せな気持ちになりました。
今、少しだけ心残りなのは私自身の子供を見せられなかったことです。だから親父が今年中に逝ってしまうと知った直後に本を出版する事を決めま した。
自分の子供を見せることができなかったからこそ、親父がきっかけで選択し たカウンセラーとしての活動をカタチにして見せたいと思い、それまでにも たくさんのオファーをいただきお断りしていた出版をする事を決断したんだ けど、出版される前に逝ってしまったね。
今年中には出版する予定なので、その際にはそっちででも、読んでもらえたら嬉しいです。
親父のことは決して忘れないよ。
私もベストを尽くして生きるから、親父もどうかそっちでも幸せに過ごしてください。
今は親父の息子に生まれてきて良かったと思ってます。
72年間、お疲れ様でした。
ありがとう!
実は医師からの宣告後、まだ父が生きてる時に残した遺言を読んで、
「よくぞ、自分の態度は省みず、立派な人間のような言葉を吐けるな!!」
と烈火の如く怒りの感情が湧き、同時に、
「まだここまでの否定的な感情が親父にあったのか?」
「すべて解消されていると思ってたけど、まだされていなかったんだ・・・」
と自分でも思うほど心が荒れた時期がありました。
一人だけではとても処理ができず母にもその憤る気持ちを話しカウンセリングを受け、さらにこの気持ちをどうにか解消する為にホテルにこもってとあるメソッドのワークを数日かけて実践したりもしました。。。
自分でも気づかぬ間にそれほどまでの大きな宿題を抱えていた事がその時に発覚したわけですが(笑)、この事にも大きな恵みがあり、だからこそ父が亡くなった際にもその後にも喪失感に囚われる事もなく、心からただただ「ありがとう」と感謝の気持ちで見送ることが出来ました。(こちらについても近々お話ししたいと考えてます。)
私は、、、もちろんこれからも生きていきます。
はっきり言うと、父が(元々)息子である私へ抱いていた期待に応えるつもりは一切ありませんし、またそれがプレッシャーになることも無いのですが(良い意味で自立してるので笑)、
でも、本当に本当に私は父の息子に生まれてきて良かったと思ってるし、父から直接的・間接的に与えてもらった事に感謝しながら生きていきたいと思ってます。
ただ父が亡くなった報告をするつもりが色々と綴ってしまいましたが、少しでも何か参考になったり伝わるものがありましたら幸いです。
ご覧くださりありがとうございます😊
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今野 陽悦
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