不登校引きこもりの娘の小学校卒業に向けて

今日は昨年の娘の小学校6年生時代の続きを書いていきます。

娘は午前中適応教室に、午後から保健室にと淡々と時間を過ごしているのかな?と思っていました。

ですが、3月も近づいて来ると友達の話題は卒業式や、中学校の事に移行していきます。

娘は小学校時代の友達とは、別の中学校に行くと決めていて、お正月には新中学の制服の採寸にも行っていました。

娘は、段々毎日の生活が保健室に通うことが苦痛そのものというような顔色になりました。

私はこの時期は、連続して毎日行かないと、次が無いような、、、そんな怖さや不安があり、その心に触れないように触れないように、ビクビクしてしまっていました。

今、思うと娘が動き始めた時期というのは、とっても大切な時期でした。何故なら、どうしても、親の過度な期待があると、本人はかなり辛くなってしまうと思うのです。

その後、卒業式までの間、娘は、私からと学校側からのプレッシャーの板挟み状態にに押されてしまいまっていました。

今の目標という風にたてれれば、卒業式に出て欲しい。。。となってしまっていました。まさしく親のエゴの押し付けでしたね。今、思うと、娘には本当に申し訳無かったです。

そんな中で、娘の担任の先生だけは、真っ直ぐに娘に寄り添って下さいました。

ただ、私もそうでしたが、担任の先生も、娘はもう、小学校に来ることは出来ないと思っていました。そう思い込んでいたのです。

それが、今は保健室に頑張って通っている。。。

私も担任の先生も、もう以前のようなわだかまりがなくなり、深かった溝も埋まって、再び心を通わせる事が出来るようになっていました。

それと同時に、娘も担任の先生に心を開けるようになっていました。

これは、親である私自身が娘のために、もう一度、担任の先生に頭を下げて、プライドや我を全て捨てて、歩み寄ったからなんですよね。

不登校引きこもりの兄妹のそれぞれの卒業式

長男は中3時代に6月からずっと家に引きこもっていて、1月に高校に行かずに東京に出ると決めました。卒業式の前に、三日間位保健室で面接の練習をして、卒業式は校長室で出ると本人が決めました。

長女は保健室登校をしていて、ギリギリまで先生方から皆と同じ卒業式に出るようにすすめられました。

が、当日付保健室には行っても、卒業証書は受け取らないと言っていました。

娘は多分、自分は卒業証書をもらう資格がないと思っていたのでしょう。

長男の卒業式は、校長室に三年生の先生方と私と息子だけでした。先生方がみんないるのにはビックリしましたが、息子は逃げることなく参加し、ちゃんと校歌も唄いました。校歌の時は、何ともいえない複雑な感情がわいてきました。息子は淡々とした態度でした。

その後、担任の先生方から励まされ、部活の先生と握手して、別れました。

息子は、周りの先生方とも話をしていたし、逃げることなく立派だったと思います。

娘は卒業式の日も、今までと同じように保健室で過ごさせて頂いて、卒業式が終わると友達数人と写真を撮りました。

その後、校長先生と教頭先生方数人が保健室に来て、自然に卒業証書を渡す状態になりました。

音楽もなく、子供達の声もなく、シーンと鎮まりかえった保健室で卒業式は終わりました。

先生方に見送られて、私達は帰りました。

車で帰ったんですが、車の中で娘は固まって声も出さずにうずくまってしまいました。しばらくの間、ずっとそうしていました。今までの思い出、色んな事が頭をよぎっていたのだと思います

こうして、2人の卒業式は終わり、私も苦しかった時代を一つ乗り越えたような晴れやかな気持ちでした。子供達は勿論ですが、私もよく頑張ったと思います。本当にその頃は、毎日辛い日々でしたけど、自分を自分でよく頑張って来たなと思いました。

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松木りか

カウンセラー
【不登校引きこもり専門心理カウンセラー】3人いる子供のうち長男・長女が不登校・引きこもりとなる。深い苦しみの中、今野のカウンセリングを受講し、二人の子供の不登校・引きこもりは解決する。 現在はその経験を生かし、自身も不登校ひきこもり専門したカウンセラーとして活動中。