生きたい人生を生きるには?
こんにちは。松木りかです
今日は人生について書いて行きたいと思います。
私は子供達の不登校を通して学んだ事が沢山あったのですが、その一つは子供たちが不登校になる前は、色んな事を我慢していました
勿論、主婦ですから、家事などの様々な雑用があるわけですので、好きなことでやりたい事があっても、中々思うように出来ませんよね
そんな中で、うちは自営業のような事をしているため、家族皆で出かけるということが出来ないのですが、数年前、主人だけは自分の好きなライブに行ったり、趣味で出かけたりしていました。
私は当時、自分もライブに行ったり、ダンスを習いたいなと思っても、自分は、きちんとした母親でありたいし、主婦なんだから我慢して当然だと思い込んでいました
その後色んな学びをさせていただいて、まずは自分自身が幸せにいることがとても大切なことだと、気付かせて頂きました。
そして、何もかもきちんとこなせる母でいなければならない、自分の決めたところまでこなさないと駄目だという強烈な規範型を手放して行きましたそれは自分が本来の姿に立ち戻っていくということでもあったと思います。
その後、主人と話し合い、そして私は自分のやりたいカウンセラーとしての活動を始める事にしましたその他にもやりたかったダンスも近々始めたいと思います。
ここに来て初めて自分のために生きたい人生を生きると決めました。今私はとても幸せを感じながら日々を過ごすことが出来ています。
皆さんも、今の現実が辛かったり、受け入れられない事があったとしても、必ずや最善に変わっていきますし、希望を持てるようになっていくことと思います何故なら私自身が正にそうなったからです。こんにちは。松木りかです三連休も終わりですね
娘の友人について
今日は娘の友達の事を書いてみたいと思います。
娘が小学校五年生の二学期から突然学校を休み始めたのですが、娘が低学年の頃からお互いに親友と呼び合っていた友達がいました。
学校をを休み初めた頃からよく手紙をくれていて、その内容は心のこもったものでした。彼女からすると一刻も早く体調が良くなり、学校に復帰して欲しいというものでした。
私から見ると、休み始めた頃はもう少しそっとしておいて欲しいなと思うくらい、彼女からのアプローチはとても情熱的でした。
そして、六年生になるときも、他の友達もそうでしたが、進級出来ることを心から喜んでくれました。
学校行事があるたびに、誘ってくれたり、うちに遊びに来てくれたりしていたのですが、娘も不登校が長くなってきていたので、娘の方はとうとう会えなくなってしまいました。
この時は私自身が学校の先生との関係に疲れ果てていて、今思うと私自身の心の在り方が、私の場合ですが、周りのせいにしてみたり、とても苦しい状態でした。
そんな時、私は素晴しいカウンセラーさんと出会うことが出来て、私も娘も劇的な変化をしていき、六年生の三学期には奇跡のように保健室登校が出来るようになりました。
そして娘は、親友とまた、保健室で再会することが出来て、教室には行けませんでしたが、思いで深い三学期を過ごすことが出来ました。保健室で給食を食べたり、お話ししたり楽しそうでした。
娘の友達は、卒業するまでずっと娘の心に寄り添ってくれて、最後まで教室に来るのを待っていてくれました卒業式の日に、保健室で友達と撮った写真は一生の思い出となる事でしょう。
本当にお友達にはとても感謝しています。今でも思い出すと胸が熱くなります。
これからも少しずつ、私と娘に起きて行った変化を書いて行きたいと思います。
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松木りか
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