生みの母を許せるまでになった訳

先日、誕生日を迎えました。いくつになっても嬉しいものです。

そして自分の誕生日なので、離れて暮らす産んでくれた母に、感謝の言葉を伝えようと思いたちました。

母は、私が3才の時に父と離婚し、私は父と祖母に育てられました。

幼い頃の母との記憶は全くない私です。私の子供時代のアルバムにも、母が写ったものは一切消されていました。

今まで会ったのは、私が二十歳の頃結婚した時位で三回位です。三回とも、私が東京に会いに行きました。

子供が不登校になった時、母との関係を整理して考えたかったので、一度手紙を書いたのですがそれに対して、返事は来ませんでした、、。

誕生日の日の電話

そして、誕生日の当日の夜に、母に突然電話をしました。

母は私の誕生日を忘れてしまっていました。

でも、色々世間話をしました。母は体調は良くないし家族ともうまく行かなくて悩んでるけど、友達はいっぱいいて楽しいといっていまし

た。

それを聞いて、本音で幸せそうで良かったと思いました。

私は電話でしゃべる時、大体が母の愚痴を聴く役にまわってしまいます。

母は何度も何度も何もしてやれなくてごめんねと言ってくれました。そして、今の生活で精一杯だとも言っていました。だから連絡が出来な

かったと言う事です。

そして、最後に、「お母さん、産んでくれてありがとうね。お母さんのお陰で生きていられます。」と伝えました

いつの間にか私達は二人で泣いていました。

母は「おまえは、本当にいい子だね」と言っていました。

今度、東京に行くとき会う約束が出来そうです。もっと会って、お互いに癒されると良いなと思いました。

そして、私って母に愛されてると、つくづく感じました。そうです。私も愛されている、、、。

母は決して、私と別れたくて別れたんじゃないんです。今でも罪責感と共に生きていました。ただ、伝えるのが不器用なだけかと思いまし

た。

母も、私と暮らしたかったんだろうなと実感する事が出来ました。

そしてきっと、私の子供達にも会いたいだろうな~と、思いました。

今年の誕生日は、私にとって生涯忘れることの出来ない素敵な誕生日になりました。

人生のスタンスを決める

これまでの私は常に、自分のスタンスを決めるのは簡単ではありませんでした。

でも、揺るぎないスタンスを決めてしまえば、自然とそちらに動かざるを得ないと思います。

ちなみに、現在の私の人生のスタンスは、

どんな時でも自分は自分の味方でいる。

どんなに多くの日とが批判しようと自分だけは自分の味方でいる。

そして、やりたいことをやる人生にします。

と、ここに決意します。

そしたら、自分でも驚いたんですが、自分の存在に感謝が沸いてきました。

今、これが、究極の自己受容なんだな~と感じています。

やっぱり、自分を分かってくれて、一番癒してくれて、一番の味方は自分なんだと思います。

だから、苦手で苦痛な事は周りの人にお願いして、自分が楽しんでやりたいことを優先してやっていこうと思いました。

どうぞ皆さんも、ご自身のスタンスを決めてみて下さいね。

決めずに迷ってるうちは苦しいけど、決めて行動するのは、とてつもなく清々しいです。

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松木りか

松木りか

カウンセラー
【不登校引きこもり専門心理カウンセラー】3人いる子供のうち長男・長女が不登校・引きこもりとなる。深い苦しみの中、今野のカウンセリングを受講し、二人の子供の不登校・引きこもりは解決する。 現在はその経験を生かし、自身も不登校ひきこもり専門したカウンセラーとして活動中。