私自身の不登校引きこもり体験から

今、40代の私も高校生の頃、不登校だった事があります。

幼少期に母が父と離婚して、家を出て、小1のころ二番目の母が来てくれたのですが、小4で病死し、中学生になった時

に三番目の母が私と同い年の連れ子の男の子を連れてやってきました。

私は、急な家庭環境の変化に右往左往していました。

中学生の頃は、連れ子の兄弟に負けたくないというライバル心で勉強し、無事に高校に入学しましたが、入学が目標にな

っていたので、途端に無気力になり、学校に行ったり、長く休んでみたりの生活をしていました。

今、思うと、いっそ高校を、辞めても良かったかな?と思います。

それでも、何とか卒業はし、その後、劇団の研究生や、日雇いのバイト、事務員、医療事務、等々どれも長くは勤め

られませんでした。

東京や仙台に出ては又、実家に帰り暫く仕事をしたり、しなかったりしていました。

実家の家庭環境は、ご飯は食べさせてもらえたのでそのような事も出来たのです。

三番目の母が腹違いの妹を産んだ時に、私はもう、自分の親の面倒は見なくても良くなったと思いました。

それなら、私は実家を出れるし結婚して子供を産みたいと思っていたので、仕事をして社会に出て結婚相手を見つけ

ようと思いました。

母が実の親ではなかったので、気を使って生活していたのが逆に良かったかも知れないです。

その後、主人と出会い、20代の終わりに結婚した時に実家を出ました。

私の場合は、実家を出たいと言う気持ちがあったので、ひきこもりが解決されたとも言えると思います。

自分と子供を信じる

長男は東京の通信制高校に通ってます。

先日バイト代がまだ入らず、バス代が無くて自転車で雨に濡れながら、体育の授業に行ったと武勇伝?を聞かせられ

ました(^^)

昨日は『朗報がある。』と元気に弾んだ声で主人に電話が入り、何かと思えば、『バイト先で、お昼が貰えるか

ら、これで毎日のお昼を確保出来た♪』との事でした。

その次の日は、部活に入って、バンドを組みギターをひくとの事でした。

夫婦そろって、更に驚きました。

実家にいたら学べなかった、寮生活や食べ物の有り難さをつくづく感じているようです。

私自身、息子を15歳の若さで家を出すことの自責の念にかられた事もありましたが、今、振り返ると家にいた頃は、私

が世話をやきすぎて、自立の芽を摘んでいたと分かります。

今は、夫婦で自分なりに楽しい人生を送っていれば、自然と子供達もその様子を見て感じて、元気になって行くの

をつくづく感じる事が出来ます。

だからこそ、自分と子供を信じて、ゆる~くこうなったら良いな、ああなったら良いなと未来を描いてみていると、

いつの間にか、そのような現実になって行くかと私は思います。

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松木りか

松木りか

カウンセラー
【不登校引きこもり専門心理カウンセラー】3人いる子供のうち長男・長女が不登校・引きこもりとなる。深い苦しみの中、今野のカウンセリングを受講し、二人の子供の不登校・引きこもりは解決する。 現在はその経験を生かし、自身も不登校ひきこもり専門したカウンセラーとして活動中。