はじめまして、カウンセラーとして今野さんの元で活動をしていると安達と申します。
私は妻と2人の娘がおりますが、次女が不登校となり解決するために情報を得る中で不登校引きこもりカウンセラーの今野さんと出会い、自分自身が生きづらさから解放され、日常に少しずつ良い変化が得られたのを実感しました。
そのような中で娘の問題が私の中で問題ではなくなる、といった体験をし解決したと言える状態になることができました。
またそればかりか、自分のありのままを受け容れ、それ以前よりも幸せを感じて生きていけるようになれたのです。
カウンセラーへなるまでの軌跡①
ずっと浮いていた幼少期〜学生時代
わたしは現在50歳代ですので、幼少期はオンラインゲームもスマートフォンもまだない時代で、遊びと言えば外で友達とよく缶蹴りをしていました。
ただ、一緒に遊ぶことはできたのですが、わたしはみんなとの会話が噛み合わない子供で相手の言うことを瞬時に理解することができず、ズレたことを言ってしまうことが多くありました。
しかも、それを自分では自覚できていませんでした。その結果、友達のほうがだんだん「こいつおかしいぞ」と思い始めてわたしのことをバカにするようになりました。
しかし、わたしはそのことに怒ったり、やり返したりすることはありませんでした。なぜなら、そもそもバカにされていることにも気づくことができなかったからです。
気づくのは、決まって翌日で「ん?昨日のあれって、僕をバカにしてたのかな」 そんなに時差があっては言い返せるタイミングもありません。
結果として、わたしはバカにされ続け、「バカにされている」とすぐに気づかなくて何も言い返さないから余計にバカにされる、という状態がずっと続いていたのでした。
母に相談したら「それってあなたが一人っ子だからよ。だから相手の気持ちがわからないのよ。わかるようになる努力をしないとね」そんな言葉が返ってきました。
そう言われたので相手の気持ちをわかろうとするのですが、結局わからないまま、そしてどういうわけか、相手をわかろうとすることを「楽しくない」と思ってやめてしまいました。
今では、幼少期のわたしがこんなふうになっていたのは一人っ子だったせいではなく「アスペルガー症候群(Autism Spectrum Disorder:自閉スペクトラム症)」であったからだと気づいています。
しかし、当時はわかっておらず、ただただ「自分は浮いている」という思いを抱えて過ごし、その思いは中学〜高校、そして大学に入っても続きます。
みんなと一緒に遊ぶことはできたのですが、会話が噛み合わず、その日の会話の内容が次の日にならないと理解できないのは相変わらずで、みんなと心がつながり合っている感覚はありませんでした。
今振り返れば、わたしはこの頃から「なんだか生きづらいな」感じ始めるようになっていました。
これは、わたしの学生時代が昭和真っ只中で、親から「いい大学に入っていい会社に就職する」という価値観を植え付けられていた時代だったことも背景にあります。
その影響で、親に敷かれたレールに疑いを持ったこともなく、高校は進学クラスに、大学も親が薦める学部に進んだのでした。
カウンセラーへなるまでの軌跡②
こんな自分を求めてくれるところを探して宝石の営業職へ
大学を卒業すると、わたしは宝石の販売会社に営業職として入社しました。
人の気持ちがわからず、会話が噛み合わず、他人と関わって生きていることがつらいわたしがなぜ人と接する営業の仕事を選んだのか?
まず、当時のわたしは「自分から求めることはしない。求めてはいけない。相手が今の自分を求めてくれることをしよう。自分はそういう人生しか歩めない」と思いながら毎日を過ごしていました。
理由はまさに、人の気持ちがわからず、会話が噛み合わず、他人と関わって生きていることがつらかったからです。
正確に言うと、人の気持ちは最終的にはわかるのですが、翌日にならないとわからないと言えるほど、それほど時差があったからです。。
自分はこうなりたい、こんなふうに生きていきたい、という展望もなく、あったとしても、人と接するのが苦手な自分には実現できそうもない。だから、自分から求めることはせず、相手が求めてくれるところに就職しようと思っていたのでした。
では、どんな「相手が求めてくれているかな?」と考えた時に浮かんだキーワードは「女性」でした。
わたしは大学時代、女性たちに好かれていました。
とはいえ、恋愛対象としてモテたという意味ではありません。
「気軽に話しやすくて扱いやすい」ということで、便利な存在として利用されていただけです。
つまりは男扱いされていなかったのです。 それでもこの経験から「女性受けするキャラクターではある」と思ったので、女性と接する仕事であれば自分は求められるのではないかと思い、応募対象をアパレル・化粧品・呉服・宝石の会社に絞り込みくことにしました。
その中から「強い女性上司がいそうなところ」を探した結果、たどり着いたのが大手アパレル企業の子会社である宝石販売会社だったのです。
しかし、いざ就職をしてからもわたしはここでも自己アピールができず自分が浮いていることを実感し結果も全く出せず、「もうこの会社では終わった」と思うしかありませんでした。。。
そんな中、自己アピールしないわたしにもチャンスが訪れました。
入社2ヶ月後、地方のデパートで1ヶ月間続くイベントが開催され、4ヶ所ある店舗に新人が研修目的で配置され4店舗の中でいちばん僻地にある小さな店舗に行くように言われたのですが、会社の誰もが驚くほど不思議なことが起こり、なんと、わたしが担当した店舗の売り上げが4店舗の中でダントツ1位だったのです。
自己アピールが苦手で上司との同行営業に行けず、ずっと社内で過ごしていたわたしがこのように結果を出すことができました。
なぜこんな結果が出せたのか、当時は自分でもよくわかっていなかったのですが、今なら説明できます。
それは、自己アピールが苦手で「求められることをやる」というわたしだからできたことでした。 このときに求められていたのは「宝石を売って売り上げを作る」ということです。
わたしはデパートの担当者や宝石の販売代理店の担当者といった関係者の方々に「どうやったら売り上げが作れますか?」と毎日のように相談し、デパートに入っている同業他社のライバルにも質問していました。
営業担当でやってきたのに「どうやったら売り上げが作れますか?」と聞くわけですから、皆さんきっと「なんだこいつは」と思ったことでしょう。
しかし、当時のわたしは人の気持ちがわからなかった人間ですから何のためらいもなく聞くことができたのでした。
そして、それが結果として功を奏し、いきなり「どうやったら売り上げが作れますか?」と聞いてくるわたしに戸惑いつつも親切にアドバイスいただくことができたのは、「宝石を売って売り上げを作る」というのがデパートや販売代理店にとっても共通のミッションだったからだと思います。
こうした経緯を経て宝石の営業マンとして結果を出せるようになり、そんな中、縁あった現在の妻と結婚をして二人の娘の子宝にもめぐまれ、紆余曲折がありながらも醇風満々だと思っていた矢先、ある大事件が起こりました。
そのタイミングで、今思えばまるでそういう運命だったかのように「すべての解釈が変わった出来事」は訪れたのです。
カウンセラーへなるまでの軌跡③
娘が不登校・ひきこもりの状態に・・・
当時、わたしは娘の不登校・引きこもりのことでも頭を悩ませるようになりました。自分では解決できず、身近な人に相談してもこれといった解決法が見つかりません。
そこでインターネットで不登校の解決法についての情報収集をしていたところ、今野さんが運営していたブログに出会いました。
そのブログでは今野さんの電子書籍を無料で提供されていたので、読者登録してさっそく読み進めていくと、まさに「青天の霹靂」といえる出来事が起こったのです。
「子供が不登校・引きこもりになった原因は、親の規範にもある」と記載されてありました。
規範とはなにか?というと、「こうでなくてはならない」「こうあるべき」というような、自らが定めた規準のことです。今回の場合で言えば「子供は学校に行かないといけない」「子供は学校でしっかり勉強すべき」と思っていることがその規範にあたります。
そんな規範が親にあるために、子供にその規範を押しつけて子供がますます苦しみ、不登校・引きこもりになってしまう。だから、規範を手放すことが大切である、、、このメッセージを見たときの衝撃は今でも忘れません。
当時、わたしは子供のことは妻に任せており仕事で家を空けることが多かったことも多く、「家のことは妻が決める」と夫婦で示し合わせていたからです。
思えば、これも規範の一つです。
そして妻には子供の育て方や将来のことについての規範があり、子供がその規範に馴染めずに不登校になったのに、学校に行かせようとしていて子供をますます苦しめてしまっていたのです。
というと妻だけの責任のように見えますが、そうではありません。わたしも「子供は学校に行くのが当たり前」と考えていて、妻と同じように子供を学校へ行かせようとしていました。
その結果、子供は不登校に加えて引きこもりになってしまいました。
しかし、当時のわたしは「自分のせいではない」と思っていました。だからこそ、「原因は親の規範にもある」という先生のメッセージは青天の霹靂だったのです。
カウンセラーへなるまでの軌跡④
人生で初めて自分自身に興味が向く
「自分に原因があったんだ」
そのことに気づかされたわたしは、「ではこれからどうしていけばいいのか」と、先生の電子書籍、そしてブログもさらに読み進めました。
どのメッセージも心に響いたのですが、中でも刺さったのが「自己受容を行う」というものでした。
自己受容とは、「『良い』『悪い』の判断をすることなく、あるがままの自分をあるがままに受け容れること」。
自己肯定や「自分を好きになる」というのは「本当はそう思っていないのに無理をしてそう思い込む」というニュアンスも垣間見えますが、自己受容は「あるがままに受け容れる」ということなので、無理がありません。
この電子書籍を読み終える頃、わたしは不思議な感覚を覚えました。
〝子供の不登校引きこもりを解決するためのアドバイスなのに、なぜわたし自身が自分と向き合い、自分を見つめ直すためのアドバイスに思えてくるのだろう?〟
それまでのわたしは自分の考えを持つ人間ではありませんでした。
仕事では、「求められたことをやる」。家のことは、「妻が決めたことに従う」。
そんなふうに、自分がこうしたいとは思わず、人に合わせることしかできなかったのです。
それほど、わたしは自分というものに興味がありませんでした。
しかし、電子書籍を読み終え、先生のブログやメールマガジンに触れ続けるうちに、自分自身に向き合うことに興味を持つようになっていました。
こんなことは人生で初めてでした。
気がつけば、わたしは(自分のせいではないと思っていたので)子供のために、妻のためにと思って先生のメッセージをチェックしていたはずなのに、いつしか自分のために、自分自身をなんとかしたいと思って毎回のメールマガジンを楽しみにするようになっていました。
「自分に興味がないと思っていたけれど、実は興味があったんだな」
そんなことにも気づくことができました。
しかも、こうして自分と向き合うことが、子供が自ら「学校に行きたい」と話してくれることにつながることになるとは夢にも思っていませんでした。
私は自分に興味を持ち自己受容を深める中で娘の不登校の状態が気にならなくなり、そればかりか娘にも変化がおこりはじめ、解決へと向かい始めました。
カウンセラーへなるまでの軌跡⑤
今野式カウンセラー養成講座を受講してカウンセラーへ
ある日のこと、今野さんがカウンセラー養成講座の案内を告知しているのを見ました。
内容は不登校引きこもり専門のカウンセラーということでなく、その他の分野にも通ずるカウンセラーを養成するものでした。
今でこそカウンセラーを生業とし活動している私ですが元々はカウンセラーになるつもりは無く、ただこの講座で学べる内容を見て、「もっと深く自分と向き合える」というところに興味を持って受講することにしました。
そして学ぶ中で、生きづらかった体験や娘の不登校の経験を生かして、以前の自分のような方々のお力になりたい、という思いが日に日に膨らんでカウンセラーとしての活動をさせていただく事となりました。
こんな私の経験・体験が皆様のお力になれましたらそれほど嬉しいことはございません。
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私のことやカウンセラーへなるまでの流れについても詳しく記載されていますのでご興味のある方はぜひご覧ください。
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こちらのページでは今野さんとの対談を公開しており、特典ではなかなか一般では聞けない「幸せに生きる秘訣」「不登校引きこもり解決法」についてもお話もしております。
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安達秀和
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- 不登校・ひきこもりカウンセラー 安達秀和プロフィール - 2017年11月28日