どうも、カウンセラーの今野です😊

今日はいつもとは少し違う切り口で、「番外編」としてお話します。

これまでの記事、改めて、不登校という現象とは?〜日本史上過去最多 35万人超えの現実〜不登校の原因とは?〜具体的な解決法〜では、不登校の「原因」や「具体的な関わり方」についてお伝えしてきました。

今日は少し視点を変えて、

「そもそも、学校ってどうやって今の形になったんだろう?」

という、学校という仕組みそのものの成り立ちについて、お話ししたいと思います。

これを知ると、「うちの子は学校に合わなかった」ということの意味合いが、少し違って見えてくるかもしれません😊

学校は、もともと「個性を伸ばす場所」として作られたわけではなかった

学校の仕組みと学び方の変化
学校の役割を否定せず、現在の子どもに合う学び方を考えます。

私たちは当たり前のように、朝決まった時間に起きて、同じ制服を着て、チャイムが鳴ったら席につき、先生の話を黙って聞く、という生活を10数年間続けてきました。

「学校とは何のためにあるのか?」と聞かれたら、多くの方は、

「子供に知識を与え、個性を伸ばし、将来の夢を見つけるための場所」

と答えるのではないでしょうか?

ただ、歴史をたどっていくと、私たちが通ってきたこの近代的な学校という仕組みは、実はそのためだけに作られたものではない、という側面が見えてきます。

フランスの歴史学者フィリップ・アリエスは、著書『〈子供〉の誕生』(みすず書房)の中で、中世ヨーロッパには、そもそも今の私たちが考えるような「子供」という特別な概念自体が存在していなかった、と指摘しています。(参考:Wikipedia「〈子供〉の誕生」

当時の子供たちは、大人と同じ服を着せられ、大人と一緒に働き、大人と同じように過酷な現実の中で暮らす「小さな大人」として扱われていました。

そこから、宗教改革の中で「一人ひとりが自分で聖書を読めるように」という理由で識字教育が広まり、さらに18世紀後半、ある国が戦争に大敗したことをきっかけに、大きな転機が訪れます。

「素直に命令を聞ける人間」を育てるための仕組みだった時代

その国とは、当時のプロイセン(現在のドイツ)です。

ナポレオン率いるフランス軍に大敗したプロイセンは、その敗因を「国のために戦う意識を持った兵士が育っていなかったこと」だと分析しました。

そこで、国家主導で作られたのが、厳格な義務教育制度です(参考:「プロイセン王国とは何だったのか」)。プロイセンは世界に先駆けて義務教育を制度化した国としても知られています。

ここで目指されたのは、単に読み書きができる国民ではなく、

「上官の命令に疑問を持たず、規律正しく一斉に動ける人間」

を、子供のうちから育てることでした。

教室が黒板に向かって一直線に机を並べる作りになっていること、チャイムで一斉に行動が切り替わること、先生の問いに全員で同じ答えを声を揃えて言うこと。

こうした学校の風景は、この時代の「軍隊のような規律を、幼いうちから体に染み込ませる」という発想が、色濃く残っているものだと言われています。

そして、産業革命が「時間割」と「一斉行動」を後押しした

19世紀に入り産業革命が進むと、今度は資本家たちが、工場の機械を24時間効率よく動かすための労働力を必要とするようになります。

それまで太陽のリズムで暮らしてきた人々に、いきなり「時計の針に合わせて働きなさい」と言っても、なかなかうまくいきません。

そこで、子供の頃から時間割とチャイムに従う生活を10数年かけて体に刻み込む学校教育が、工場労働への”準備期間”としても、都合よく機能したと考えられています。

テストの点数や成績評価も、「決められたことを、決められた通りにミスなくこなせる人材」を見分けるための、一つの指標として機能してきた側面がある、というわけです。

フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、著書『監獄の誕生』の中で、学校・病院・軍隊・刑務所の構造には、人を常に監視し、規律を内面化させるという共通の仕組みがあると論じました(参考:Wikipedia「監獄の誕生」)。

日本の学校制度も、同じように「時代の要請」でつくられてきた

ここまではヨーロッパの話でしたが、実は日本の学校教育の歴史をたどっても、まったく同じ構図が見えてきます。

日本に近代的な学校制度が生まれたのは、明治5年(1872年)の「学制」公布からです。文部科学省の「学制百年史」にも記されている通り、当時の明治政府は、欧米列強に追いつくための「富国強兵・殖産興業」という国家目標を掲げていました。

つまり日本の学校も、その始まりから、「一人ひとりの個性を伸ばす場」としてではなく、強い国家をつくるための人材を、短期間で大量に育てる場として設計されたという側面があるのです。

その後、明治23年(1890年)には教育勅語が発布され、「忠君愛国」を土台にした教育が全国の学校に広まっていきました。(参考:Wikipedia「学制」

第二次世界大戦が終わると、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の主導のもと、1947年に教育基本法・学校教育法が公布され、今も続く「6・3・3・4制」がスタートします。ここでようやく、「個人の価値をたっとぶ」という理念が教育の目的として明文化されました。(参考:国立公文書館「戦後の教育改革」

しかし、戦後の高度経済成長期に入ると、再び学校には「大量生産・大量消費の時代を支える、均質で真面目な労働力を効率よく育てること」が強く求められるようになります。
1958年・1968年の学習指導要領では授業時数が過去最多になり、「詰め込み教育」「新幹線授業」と呼ばれるほど、学習量がぎゅうぎゅうに詰め込まれていきました。

その結果、1970年代には「落ちこぼれ」「校内暴力」「登校拒否(不登校)」「引きこもり」といった言葉が社会問題として広く語られるようになり、1977年の学習指導要領改訂で、初めて「ゆとり」という理念が導入されます。
その後も、学力低下論争を経て「ゆとり教育」から再び方向転換するなど、日本の学校は、その時々の社会の要請に合わせて、何度も揺れ動きながら形を変えてきました。(参考:Wikipedia「ゆとり教育」

つまり、日本の学校というシステムもまた、「絶対に正しい、不変の仕組み」ではなく、その時代ごとの社会の必要に応じて、何度も作り直されてきた”途中経過”なのです。

そして今、少子化・AIの台頭・不登校児童生徒数の過去最多更新という現実を前に、その仕組みは、また次の形へと変化を迫られている真っ最中なのだと思います。

大切なのは、「学校が悪い」ではなく「時代が変わった」ということ

ここまで読んで、「ということは学校は悪いものだったの?」と感じられた方もいるかもしれません。

私がお伝えしたいのは、そういうことではありません。

学校が私たちに文字を教え、社会のルールを教え、大切な友人や恩師との出会いをくれたことは、かけがえのない事実です。

ただ、今の学校教育の骨格そのものは、驚くほど、19世紀の軍隊式・工場式のモデルからアップデートされていない、ということもまた事実なんです。

そして、時代は大きく変わりました。

かつて社会が必要としていたのは、「命令に忠実に、みんなと同じように、黙々と作業をこなせる人」でした。

でも今は、単純作業の多くはAIやロボットが担うようになり、社会が求める力は、「自分の頭で考える力」「人と違う発想ができる力」「自分の感性を活かせる力」へと、大きくシフトしています。

つまり、今の子供たちは、「もう社会が必要としなくなりつつある力」を鍛えるために設計された仕組みの中に、今も置かれ続けている、とも言えるわけです。

実際、国(文部科学省)自身も、不登校児童生徒への支援に関する方針の中で、「学校に登校する」という結果のみを目標にしないという考え方を示しています。制度を作る側も、時代の変化に合わせて、少しずつ舵を切ろうとしているところなのだと思います。

私も、学校というシステムに馴染めなかった一人でした

ここで少し、私自身の話をさせていただきます。

私は、思春期が始まった中学2年頃から、「学校へ行く意味」や「人はなに為に生きるのか?」と考えるようになりました。

好きでもなく、将来役に立つとも思えない勉強を、なぜしなければならないのか?
学校や先生、大人たちが正しいということは本当に正しいのか?
自分は上の言うことに従うことでしか生きていけないのか?

そんな疑問を持つようになったのです。

まさに現在の言葉で言う、中2病状態です(笑)
 
そして、こうしたことを口にすると、先生や親からははぐらかされたり、否定されたりしました。

「なぜ、自分の思いをただ聞いてもらうことすらできず、否定されるんだ・・・」

当時、そんな風に感じていたことを覚えています。

こちらででも、当時の気持ちを綴っています。
子供から大人へと成長するプロセスとは?〜親の精神的自立と依存心克服の鍵である統合〜

その後、心理学や人類学などを学びながらカウンセラーとして多くのご相談に関わらせていただく中で、私は一つのことに気がつきました。

それは、日本人の多くが周りとの調和を重んじる「集団主義」の気質を持っているのですが、その中には少数派として、「個人主義」の気質を持って生まれてくる人もいる、ということです。

そして私自身の生まれ持った気質は、この少数派の「個人主義」寄りだったのだと思います。

それにもかかわらず、周りに合わせることを強く求める集団主義的な日本の学校システムの中に身を置いていたことで、自我の目覚め始めた思春期から次第に苦しくなって不登校となり、どうにか進学した高校もすぐ行けなくなったのだと理解し、腑に落ちました。

(※ また後になってからわかったことですが、私はADHDの特性を持っています。
当時は今ほど「発達障害」やADHDという言葉が一般に知られていなかったため、自分も周りもそのことに気づいていませんでした。
最近の研究でも、ADHDのある子どもは画一的に行動を求められる環境の中で困難を抱えやすく、自分自身の興味や内発的な動機、自律性が尊重される環境によって力を発揮しやすい可能性が指摘されています。(出典:Students with inattention and their experiences of autonomy in school(2025)
今振り返ってみれば、周囲と同じように行動することを求められる学校環境と、もともとの個人主義寄りの気質、そしてADHDの特性。
そのいくつかが重なったことで、私は学校という狭い檻に閉じ込められるような場に対し非常に生きづらさを感じていたのだと今はわかります。)

これは良い・悪いの話ではなく、集団主義にも個人主義にも、それぞれの長所と短所があります。

ただ、生まれ持った気質、置かれている環境の前提とが噛み合っていないと、心はどうしても苦しくなってしまうのだと私は自分自身の経験からそして数万件のご相談から、実感しています。

個人主義・集団主義の気質については、拙著『学校に行けない子どもの気持ちがわかる本』や、こちらの記事でも詳しく触れていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

学校に行けないことは、単なる「弱さ」ではないかもしれません。

本人の弱さではなく、環境との相性を見る
時間・場所・集団・学び方を調整し、本人に合う学習環境を探します。

ここで、話は戻ります。

もし、今の学校という仕組みが、本当は今の時代にそぐわなくなってきている部分があるのだとするならば、その中で「どうしても馴染めない」「息苦しくてたまらない」と感じてしまうお子さんの感覚は、実はとても自然で、健全な反応なのかもしれません。

みんなと同じように振る舞うこと、空気を読むこと、決められた枠からはみ出さないこと。

繊細な感覚を持ったお子さんほど、そうした「今の学校の前提」に、身体レベルで違和感を覚えやすいのだと、私はこれまでの相談の中で、たくさん感じてきました。

これは、決して「弱いから行けない」のではなく、「時代の変化に、環境の方がまだ追いついていない」という側面があるだけなのかもしれません。

前回、前々回の記事で、「原因を探すより、今、何が起きているかに目を向けましょう」とお伝えしましたが、この視点もその延長線上にあります。

「なぜうちの子だけ」ではなく、「そもそも、今の学校という枠組み自体が、変化の途中にある」という、少し引いた視点を持てると、お子さんへの見方も、ご自身への責め方も、少し変わってくるのではないかと思います。

おわりに

今日は番外編として、少し歴史や社会的な視点から、学校という仕組みそのものについてお話ししました。

「学校が絶対的に正しいもの」でも「学校が悪いもの」でもなく、「時代の中で作られ、今まさに変化を迫られている仕組みの一つ」として捉え直してみる。

そんな視点が、お子さんとの関わりにおいて、少しでも心を軽くするきっかけになれば嬉しいです😊

次回からは、また具体的な関わり方のお話に戻っていきますので、楽しみにしていてくださいね♪

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参考文献・出典

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今野 陽悦

【今野陽悦:不登校・ひきこもり専門カウンセラー】 自身の不登校・ひきこもり経験をもとに、20年以上にわたり本人・保護者からの相談に対応。これまでの相談実績は累計2万件以上。 著書に『学校に行けない子どもの気持ちがわかる本』『学校に行けない子どもに伝わる声がけ』『子供の不登校・引きこもり解決の教科書』などがあり、講演・メディア出演・学校関係者への支援も行っている。